中学受験を目指したきっかけ
きっかけは、国立附属小学校、お受験不合格・・・だったこと。
といっても記念受験だったので受かるわけもないのだが。。。
でも、子どもの能力をどこかで信じ、もしかして、なんて思いも恥ずかしいが実はあった。
記念受験とはいえ、番号がないのはやっぱりショックだった。
それから母の教育熱に火がついたのだった。
小学校お受験は親の受験。
子どもに不合格体験を与えたのは私だ。
甘い考えで軽い気落ちでお受験させた、この母が悪かったのだ。
幼児教室に通わせることもできなかったのに。
なんの知育も、読み聞かせすらも、してあげられなかったのに。
受験日も、母は仕事を休めず同伴できず、親子面接がないのをいいことに、遠方の祖母に同伴を頼むぐらいだった。
軽い気持ちと思われても仕方ない。
合格したお子様と、うちの子と、能力的に何が違うというんだろう。
今となっては、合格した子と合格しなかった子との違いがよくわかる。
小学校受験のためのトレーニングを、どこまで、どれだけしたか、は当たり前だがとても大きい。
合格したお子様は、親子で何年もかけて幼児教室に通い、お絵かき教室、体操教室にも通い、家庭では毎日休まずプリント学習。
それを数年間続けて親子で頑張ってきたお子様たちなのだ。
うちも記念受験のつもりとはいえ、全くの対策なしで挑んだわけではない。
幼児教室の「附属小学校直前対策講座」というのに、2日だけ行った。(たまたま土日だったのだ。)
附属小狙いの親御さんたちの必死さや、執念のようなもの、お受験の世界の厳しさを感じた。
その後、公立小学校入学前に、夜尿症で児童精神科を受診し、発達障害(ADHD不注意優勢型)と診断された。
IQは、まあまあ高かった。
多動とは無縁で、動きまわらない、ぐずらない、手のかからない子だったので、ADHDと言われショックだった。
手がかからないことをいいことに、保育所まかせで子どもとちゃんと向き合っていなかったことを反省した。
発達障害の診断がついたことを機に、息子とがっぷり向き合い、療育と教育に力を注いでいくこととなった。
もともとは、その附属小学校から上がれる附属中学校に、リベンジのつもりで中学受験を考えた。
話は脱線するが、その国立附属中学校は、母自身が中学受験して不合格だった学校だ。
貧困家庭出身の母は、塾など行けず、受験勉強は独学だった。
「自由自在」「力の5000題」「応用問題の解き方」、これらの参考書を自宅で一人でただやるのみ。
分からない所は自分で考えるしか術がなく、考えても分からなければ、分からないまま終わるしかなかった。
分からない所を塾で教えてもらえる子が羨ましくて仕方なかった。
それでも、私自身、中学受験をして良かったと思っている。
あの時、中学受験のために勉強したことは、大人になった今でも役にたっている。
母は、その後高校受験も大学受験もした(もちろん塾なし)が、中学受験の時の勉強が、人生で一番役に立っていると思う。
ゴールデンエイジの小学校高学年の時期に、負荷をかけてやった中学受験の勉強は、高校受験でも大学受験でも役にたつし、将来もとても役に立つことを自分自身実感している。
だから、母は中学受験にもともと賛成派だし、息子にも受験するしないに関わらず、中学受験のための勉強はさせるつもりだし、絶対塾には通わせてあげたいと思っている。
息子が地域の小学校に入学し、あれこれやり始めた頃、私たちの居住地は、私立高校授業料無償化の制度があることを知った。
母の年収ならば、私立高校授業料無償化の恩恵を受けることができる。
私立の学校のほうが、発達障害の子に対してサポートも手厚いという。
じゃあ、中学校3年間の学費さえ工面できれば(工面できる目処はたっていないが)、もしかして、私立中学受験も考えてもいいかもしれない。
それらとは別に、うちの子には父親がいない。生まれてすぐ捨てられたようなもんだ。
思春期になるときっと荒れると思う。
荒れた時に、母一人で受け止める自信がない。息子の心を救えないかもしれない。
そうなった時、学校が息子の逃げ場であってくれれば、と願う。
思春期男子の対応に慣れた先生が多いという男子校なんかいいかもしれない、と考え始めている。
長くなりました。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
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